2008年
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2007年11月15日~18・20~22日
みんな、なにかに、憑かれてる
演劇集団キャラメルボックス『トリツカレ男』
穏やかでのんびりとした時間が流れるイタリアの田舎町。この町のレストランでウェイターとして働いている一人の若者、ジュゼッペ。すぐに何かに取り憑かれ、一度憑かれると周りの物が見えなくなるくらい、ひとつのことに熱中してしまう彼を、仲間たちはこう呼んでいた。「トリツカレ男」と。今、ジュゼッペが取り憑かれているのは三段跳び。今日も仕事そっちのけでより高く、遠いジャンプを目指して練習に明け暮れる彼が出会った風船売りの少女、ペチカ。彼女との出会いは、ジュゼッペに新しい「トリツカレ」をもたらすことに……。
いしいしんじ氏の原作を元に、演劇集団キャラメルボックスが神戸に運んでくれた、少し早めのクリスマス・プレゼントは、ひとつのことに桁外れに夢中になってしまう人間が、人を愛することに取り憑かれてしまったらどうなるだろうか、というテーマを、切なくも感動的にうたいあげていく。だからといって重たいだけのお芝居というのではなく、時に軽妙な笑いや、ダンスやカーニヴァルのパフォーマンスといった視覚的な効果も充分。いかにもキャラメルボックスのお芝居らしく、お芝居前から観客の注意を舞台に惹きつけ、その興味を途切れさせないまま公演にと導いていく手腕の確かさも健在だ。
何かに取り憑かれるということは、取り憑かれた対象を深く知り、そのものの奥底の真実に近づいていくということ。ジュゼッペはこれまで、オペラ、探偵、昆虫採集、外国語と、様々なものに取り憑かれ、それらを深く深く掘り下げ、多くの物事を知り、いくつかを自分の血肉とすることにすら成功してきた。そう、一方的に熱中できる「もの」であれば、ジュゼッペの情熱も迷うことはない。だけど、取り憑かれた相手がもし、自分と同じようにさまざまに揺れる気持ちを持った「ひと」であった時、彼の「トリツカレ」が成就するための条件とは何になるのだろうか? もしかしてそれは時に、ひどく厳しい現実を引き寄せることになってしまうのではないだろうか?
普通の人間ならそこで「常識」が頭をもたげ、予想される悲劇を回避することも出来るのだろうけれど、取り憑かれたら最後のジュゼッペにはそんな器用なことは出来るはずもない。そんなジュゼッペを見守る家族や同僚、ジュゼッペとだけ会話できるハツカネズミのトトたちも、はじめはジュゼッペの無鉄砲なまでののめり込みっぷりに呆れつつも、いつしか彼の純粋で迷いのない姿に打たれ、自分たちの心の奥底に潜んでいた「トリツカレ」の存在に気づいていく事になる。
人はみな、多かれ少なかれ何かに取り憑かれて毎日を過ごしている。それは意識しようとしまいと、その人の人生に大きな影響を与えずにはおかない。それを隠して、上手く立ち回って生きていくのが、言ってみれば「大人」な対応なのだろうけれど、では、人からなんと見られようと、憑いてきたものに対して、なぜ自分がそれに憑かれてしまったのか、そこにどんな意味があるのか、どうすればその奥底にある深い意味を読み取ることが出来るのか、時にもがき苦しみ、無様な姿をさらすことになっても真剣にそれと向き合っていく姿ってのは無駄で格好の悪いことでしかないのだろうか? そこのところをどう思うかね? という問いかけを突きつけられたような気持ちにさせられる。その気持ちは、決して辛い方向に向うものではない。繰り返されるカーテンコールに私たち観客が込めた思いは、今この瞬間、同じ物に「トリツカレ」たことへの喜びと感謝であったのだろう。
【キャラメルボックスHP】
http://www.caramelbox.com/
text /Osamu Kato
2007年 10月
2007年11月15日~18・20~22日
みんな、なにかに、憑かれてる
演劇集団キャラメルボックス『トリツカレ男』
穏やかでのんびりとした時間が流れるイタリアの田舎町。この町のレストランでウェイターとして働いている一人の若者、ジュゼッペ。すぐに何かに取り憑かれ、一度憑かれると周りの物が見えなくなるくらい、ひとつのことに熱中してしまう彼を、仲間たちはこう呼んでいた。「トリツカレ男」と。今、ジュゼッペが取り憑かれているのは三段跳び。今日も仕事そっちのけでより高く、遠いジャンプを目指して練習に明け暮れる彼が出会った風船売りの少女、ペチカ。彼女との出会いは、ジュゼッペに新しい「トリツカレ」をもたらすことに……。
いしいしんじ氏の原作を元に、演劇集団キャラメルボックスが神戸に運んでくれた、少し早めのクリスマス・プレゼントは、ひとつのことに桁外れに夢中になってしまう人間が、人を愛することに取り憑かれてしまったらどうなるだろうか、というテーマを、切なくも感動的にうたいあげていく。だからといって重たいだけのお芝居というのではなく、時に軽妙な笑いや、ダンスやカーニヴァルのパフォーマンスといった視覚的な効果も充分。いかにもキャラメルボックスのお芝居らしく、お芝居前から観客の注意を舞台に惹きつけ、その興味を途切れさせないまま公演にと導いていく手腕の確かさも健在だ。
何かに取り憑かれるということは、取り憑かれた対象を深く知り、そのものの奥底の真実に近づいていくということ。ジュゼッペはこれまで、オペラ、探偵、昆虫採集、外国語と、様々なものに取り憑かれ、それらを深く深く掘り下げ、多くの物事を知り、いくつかを自分の血肉とすることにすら成功してきた。そう、一方的に熱中できる「もの」であれば、ジュゼッペの情熱も迷うことはない。だけど、取り憑かれた相手がもし、自分と同じようにさまざまに揺れる気持ちを持った「ひと」であった時、彼の「トリツカレ」が成就するための条件とは何になるのだろうか? もしかしてそれは時に、ひどく厳しい現実を引き寄せることになってしまうのではないだろうか?
普通の人間ならそこで「常識」が頭をもたげ、予想される悲劇を回避することも出来るのだろうけれど、取り憑かれたら最後のジュゼッペにはそんな器用なことは出来るはずもない。そんなジュゼッペを見守る家族や同僚、ジュゼッペとだけ会話できるハツカネズミのトトたちも、はじめはジュゼッペの無鉄砲なまでののめり込みっぷりに呆れつつも、いつしか彼の純粋で迷いのない姿に打たれ、自分たちの心の奥底に潜んでいた「トリツカレ」の存在に気づいていく事になる。
人はみな、多かれ少なかれ何かに取り憑かれて毎日を過ごしている。それは意識しようとしまいと、その人の人生に大きな影響を与えずにはおかない。それを隠して、上手く立ち回って生きていくのが、言ってみれば「大人」な対応なのだろうけれど、では、人からなんと見られようと、憑いてきたものに対して、なぜ自分がそれに憑かれてしまったのか、そこにどんな意味があるのか、どうすればその奥底にある深い意味を読み取ることが出来るのか、時にもがき苦しみ、無様な姿をさらすことになっても真剣にそれと向き合っていく姿ってのは無駄で格好の悪いことでしかないのだろうか? そこのところをどう思うかね? という問いかけを突きつけられたような気持ちにさせられる。その気持ちは、決して辛い方向に向うものではない。繰り返されるカーテンコールに私たち観客が込めた思いは、今この瞬間、同じ物に「トリツカレ」たことへの喜びと感謝であったのだろう。
【キャラメルボックスHP】
http://www.caramelbox.com/
text /Osamu Kato








