新神戸オリエンタル劇場
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'94年に初演され、その後'98年に一度再演されている演劇集団キャラメルボックス公演、『俺たちは志士じゃない』。演出にマキノノゾミ氏を迎え、三度目の公演が実現した。
王・佐幕が入り乱れ、日々暗闘の絶えない幕末の京の冬。岩国藩の若侍、鶴橋は、街でたまたま窮地を救った勤王の志士たちをなじみの商家の蔵に匿って欲しいと頼むのだが、なにやら蔵には先客がいる様子。先客を連れてきた同僚の梅田は、「岩国藩にとって重要な人物故、志士たちにはどこか他のところに隠れて欲しい」の一点張り。だが鶴橋とても引くわけには行かぬ。何せ彼とともにやってきた二人の浪人とは、坂本龍馬に中岡慎太郎なのだ。かつて桂小五郎を匿ったこともあるこの蔵に迎え入れるのに、これほどふさわしい人物が他にあるだろうか。

 ……本物なら。
 
う、問題は坂本、中岡に見えるこの二人、正体は士道不覚悟で新撰組を脱走し、今は組に追われる松吉と竹次郎というケチなちんぴらだったのだ……

話は、すったもんだの末に、どうやらこの二人、本物の坂本、中岡らしいと鶴橋をはじめとする岩国藩士たちが信じ込み、その教えを乞おうとするのだが、偽物である松吉と竹次郎に気の利いた応えができるはずもない。だが最初に思い込んだ側はすべてを勝手に良い方に解釈してしまうために偽物たちの立場はどんどん固まってゆき、ついには“本物の”勤王志士の大物、桂小五郎との会談までが実現の運びとなってしまってさあ大変、というシチュエーション・コメディ。だます二人の名は神田に品川、だまされるのが鶴橋に梅田に天王寺、というのは、何か意図がある物なのか、さて。

キノノゾミ氏の演出は大変に抑制の効いた、抑えめとも思える落ち着いたもの。派手な見せ場、というのは案外少ないのだが、細部にまで気が配られ、バランス良く配分されたギャグとシリアスが、おとなしめの舞台の中に時折きらりと光を放つ。三人の客演を加えた俳優たちの芝居も、演出の意図を良く理解した、ケレンよりも舞台全体の調和を重く見る物だったといえるだろう。そんな中、実にぴりりとスパイスの効いた怪演を披露してくれるのが、商家の女将と女中を演じる、ぬい役の坂口理恵とこま役の渡邊安理の二人。全体に落ち着いた雰囲気の中に突然弾ける小振りのクラッカー的おもしろさがある。

解によって作られてしまった勤王の大立者、という立場に追い込まれた二人の浪人が、怖れつつもどこかでその立場を楽しんでいくなかで、“肩書き”に振り回されるばからしさ、“肩書き”がもたらす重さ、のようなものを知っていき、それにどう向き合っていくか、各々がその答えを見いだしていくまでの過程をじっくりと描いていくのがこの舞台だ。最後に登場人物たちが自分たちなりに導き出す答えとは、人は自分以外にはなれないのだ、自分自身であり続けるために命を全うしていく物なのだ、それが他人から見たらどんな物だったってかまわないじゃないか、ということなのだろう。流されるままに行動を共にしてきた松吉と竹次郎の二人が、最後に出した答え。それはすがすがしくて、なおかつちょっぴり切ない。
   
text / Osamu Kato

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