劇劇団赤鬼がクリスマスの季節に贈ってくれたラブ・ストーリィ。恋に落ち、時を超えた冒険を体験するのは一人のオタク。お芝居の序盤の冒頭のアキハバラ・オタク大乱舞で度肝を抜かれるが、それはあくまでツカミ。この作品はオタク、という生き物を単に変な趣味にふける変わった人間、ではなく、“常人よりもはるかにピュアで、それ故、少し精神年齢的には未発達なところもある人間”と捉えている。2076年からやって来たオタクが2006年の世界で出会うのも、アマチュア映画に取り組む、これはこれでちょっとしたオタクの若者たち。この組み合わせが劇中に起こるさまざまのエピソードに笑いとペーソスを生み出し、未発達だった若者たちの成長の物語を演出する。

劇中で重要な意味を持つのが、ボンが常に背負っているランドセル型のタイムマシン。彼を2006年に連れてきたこのマシンには、もう一つの機能が備わっていて、それが芝居の要所でアクセントとなる働きをする。もちろん「時間」に関する機能であるのだが、これが発動したことを表現するステージ上の動きはすばらしい。役者さんたちの身体だけで「時間」を表現するこのシーンは必見。

ここにいるボンというオタクは、確かに他人から見たら少々捉えどころがなく“キモい”ところのある人間ではあるのだけれど、その“キモさ”とは実は、普通の人間がやりたいと思っても、恥ずかしくてちょっと出来ない類の事に迷わず打ち込めるひたむきさ。だから最初は引き気味にボンのオタクっぷりを見ていた客席も、いつしかそのひたむきさに共感し、クライマックスでは迷わず彼のオタク的一途さを応援することになる。アマチュア映画作りに打ち込む仲間たちの中に飛び込んだ、困った男の子が引き起こす珍騒動は、ボンの人間的な成長と共に、いつしか切ない純愛物語へと変っていく。

そそしてラストシーン、私たちはボンが時を超えて2006年の世界にやって来ていたことを思い出して少しばかりシュンとなり、それでも彼なりに純粋な愛を貫いて生きるボンの姿に、もはや“キモさ”など感じることなく、素直にその愛の物語の結末を受け入れていることだろう。 |