アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれたラフカディオ・ハーン。4歳で両親に捨てられ叔母に預けられたが、そこで強制的にカトリックスクールへ通わされ、苦痛の日々を送る。さらに、事故で左目を失明するという不運に見舞われ、心にも大きな傷を負うことになる。のちに叔母の破産をきっかけに単身アメリカへ渡るが、そこでも周囲から「化け物」「怪物」とののしられ、絶望の日々を送っていた。

ある日、ハーンは図書館で読んだ書物をきっかけに文を書くことに喜びを見出したことから、新聞記者という道に進む。そこで同業のエリザベスという女性に憧れを抱くが、結局その恋は叶わぬまま終わる。生まれ変わりたいと望んだハーンは、母の国であるギリシャと通じるものがある神々の国・日本へ渡る決意をしたのだった。

日本に来たハーンは、まず松江の英語教師として生活を始める。そこで出会った小泉セツと結婚。子どもの日本国籍を得るために自身も日本に帰化することを決意し、日本人・小泉八雲となる。しかし、常に家族を養わなければならない重圧がつきまとう。そのためにさまざまな職につき、作品も次々と発表していくが、ある日病魔に襲われ…

音楽はピアノ(演奏:松川裕)のみ。舞台セットは3つの仮面と3体の彫像(作:勝野眞言)のみ。モノトーンと静寂の風景。この、いたってシンプルな造りの土台に、沢木順が魔法のような演技で鮮やかに色づけしていく。たった一人で、主人公・八雲の幼少期から晩年までの変化を描き、さらに彼をとりまく大勢の人物を代わる代わる登場させるのだ。それは、まるで一本の苗木が、成長し枝葉を付けて最後は緑に輝く大樹となっていく様を観ているかのように、奥行きと広がりをもって目の前にはだかる。そのために必要なのは、観客である私たちの想像力だ。

3つの仮面には、八雲をとりまく人々の表情が投影される。3体の彫像には、八雲の愛した3人の女性(母親、エリザベス、小泉セツ)の姿が浮かびあがる。私たち観客は、あたかもそこに登場人物が存在して演技をしているかのような錯覚を覚えながら、八雲の思いにシンクロしていく。気づいたときには、自分自身が八雲になっているのだ。これはソロ・ミュージカルならではの不思議な感覚ではないだろうか。それとも、沢木氏自身の卓越した演技力、八雲という作品に対する思い入れが、マジックを生んでいるのかもしれない。
今回神戸で初の上演となった『YAKUMO』。神戸と小泉八雲のゆかりは深く、八雲が日本国籍を得た場所はこの神戸だったのだ。
 「愛し 愛されることなど あきらめていた
でも 今はわかる 愛とは何か
生きてみせよう 八雲として 死んでみせよう 八雲として」

八雲が、八雲として生きることを決意した場所・神戸。この地で彼の生涯に思いを馳せる。ひときわ、その歌声が、その台詞が、しみじみと胸に迫ってくるようだった。 |